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Posted by TI-DA at

2010年06月09日

海人とーちゃん 今年の久米島上陸予定

もうすぐ夏です。
今年の久米島上陸は7月5日から7月13日までの予定です。
まだ1度も久米島へ行ったことがない方、
海人とーちゃんの変な歌を聴いてみたいと思っている物好きな方、
常連の皆様、
糸数民宿に集合!

ep_160  


Posted by 海人とーちゃん at 02:50Comments(3)沖縄

2010年01月26日

にんげんドキュメント 糸数民宿のおじー

まず最初にNHK "にんげんドキュメント" のテーマ曲 黄昏のワルツでも聴きながら読んで下さい。

私がまだ小学生の頃 三日に一度だけ帰ってくる 父にあうのが楽しみだった。
うす暗い船底の機関場という舞台裏で、いつも汗と油にまみれ、
乗客と物資を無事に久米島まで届ける。白瀬丸の船員だった父は 
ごつい体格と大きな背中に,機械の油が染み付いたグレーの作業着姿で
それは我々息子たちにとって尊敬する偉大なヒーローであった。

父は子供たちの手土産を忘れたことはなかった。
それは那覇で買った ふわふわのパンや餅などのお菓子で、
当時の久米島では手に入らない美味しいものだった。
土産を渡す時の父の右手は親指と小指の二本だけだった。
いつも物静かで笑顔の父からは過去にどんなにつらいことがあったのか
知るよし も無い。子供たちはただ無邪気に那覇のパンをほおばるだけだった。

父が若い頃 精米所に働いていた時に脱穀機で指を失うという
事故にあったらしい。ちょうど田んぼで農作業をしていた母親は、
担架で運ばれていく血まみれの男を 目撃。
近くで見てみるとそれが自分の夫であると分かった時は
どんなにショックだった ことか。
当時、島には十分な医療設備などはなく 父もきっと苦しい思いをしたに
違いない。

それから、「みどり丸沈没」 という不幸な事故にも遭っている。  
1963年8月17日 那覇から久米島に向け出港した客船みどり丸が
沈没し100人以上が亡くなるという沖縄の歴史に残る大惨事であった。
当時 船底の機関場でいつものように作業をしていた父はいつもとは
違う大きな 揺れを感じた。そして船体が大きく横に45度以上傾た。
まさか船が沈没するとは思ってない父は機関場に残り なんとか自分の
任務を果 たそうと努力した。しかし次の瞬間、機械がドタドタと倒れはじめた。
緊急事態と判断した父はやむ なく機関場を離れることを決心。
ドアから押し寄せる洪水のような海水と荷物、
襲いかかるように倒れてくる機械、
そして次の瞬間、何とその機械が父の顔面に直撃。
意識もうろうとなりながらも、その中からなんとか
奇跡的に這い上がって脱出。

海面では人々が我先にと小さな救命浮き輪に群がった。
父も何とか浮き輪につか まることができた。
しかし、ほっとするのもつかの間だった。
近くで一人の乗客が溺れかかっていた。
船乗りとして、最後まで乗客の安全を第一に考える父は
やむなく浮き輪を手放し、その乗客に自分の場所をゆずった。
それから自力で泳ぎつづける父。しかしそこは潮の流れが速く、
父はどんどん遠 くへ流されていった。
船は大きく傾き浸水の勢いが早かったためSOSを発信することも
できずに沈没した。そのため救助船が駆けつけた時は
事故が起こってからすでに5時間以上も経過していた。
港では安否を気遣う家族らが押し寄せた。

那覇の泊港に集まる家族や関係者ら 写真は沖縄県公文書館公式サイトから転載

それから10数時間が経過。あたりはすっかり暗くなってしまった。
しかしまだ父が救助されたという連絡が入ってこない。
もうダメかとあきらめか けていた頃、遂に救助船のサーチライトが
父の姿を発見!
ひとりまっ暗な海をさまよっていた父は
その時いったいどんな心境だったのだろうか。

父は我々息子たちに そのことを詳しく話すことはなかった。
そして父の苦労を知らない子供たちは 三日に一度帰ってくる
父とお土産を ただ無邪気に待つだけだった。

そんなある日、父は大きな箱の土産をもってやってきた。
開けてみるとそれは何 と エンジン付の高価な模型飛行機だった。


当時の糸数家は決して裕福ではなかった。トタン屋根の小さな家は
夏はサウナ のように暑く、冬は床下や壁から
すき間風がピューピューと入ってきた。
身分不相応な買い物だったということは言うまでもない。
我々息子たちも子供な がらにそれがどんなに高価なものであるのかは
すぐに分かった。
それ以来 その飛行機は兄と私と弟の3人の宝物だった。
いつもは2段ベッドの下 に隠し 時々取り出しては、
大空高く飛んでいる姿を想像するのであった。
あまりにも大切なものだったため、
結局一度も外で飛ばすことはなかった。

いつしか父も船を降り民宿業に専念するようになった。
糸数民宿にはなぜか個性的(変)なお客さんが多かったが
父はどんなお客さんに 対しても親切で文句や悪口を言うことは
決してなかった。
糸数民宿のオジーという誰からも愛されるキャラクターであった。

*****************

2009年12月2日 いつものように会社から帰ってくると
電話にメッセージが入って いた。
父が亡くなったという知らせであった。
翌朝、ロスから羽田経由で沖縄本島に向い、その次の日の朝、
飛行機で久米島に 着いた。
車から降り、いそいで玄関を入ると,
ちょうど出棺が始まるところだった。
間に合った。何とか最後に父の顔を見ることができた。
その姿はまるで笑みを浮かべているかのように穏やかな表情だった。
冷たくなった父の顔や腕に触れてみると
数々の思い出がよみがえってきた。
昔 船乗りだった頃の父、
兄弟3人と父の4人で行った沖縄本島旅行。。。。
そして一度も飛ぶことがなかったあの模型飛行機。

他人との争いごとをこのまず、また悪口を言うことも決してなかった父。
我々子供たちに一番大切なやさしさを教えてくれた父。

そしてあの飛行機は
兄と私と弟 3人の心のなかで
いつまでも
空高く飛んでいます。


ありがとう。父さん。

偉大だった父の冥福を心より祈りたい。

  


Posted by 海人とーちゃん at 18:35Comments(4)沖縄

2009年08月21日

宇宙から帰ってきました

UFOにさらわれてから10か月ぶりに宇宙から帰ってきました。




ここ十数年の間に日本は随分おかしな国になってしまった。
世界経済第二位の超大国なのになぜか国民の生活水準は
どんどん悪くなって行くばかり。
日本の労働者の4人に1人はワーキングプアという現実。
崩壊する日本型雇用システム
増加する派遣社員
広がる格差社会
年金縮小
保険料引き上げ
もう日本国民はボロボロになっている。

なぜこのような国になってしまったのか。
これは憲法第12条に答えがある。

日本国憲法第12条:この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の 努力によって、これを保持しなければならない。


つまり我々B層がこの不断の努力を怠ったために日本がこんなにも
おかしな国になって しまったのだ。
(B層とはテレビや新聞だけで得た情報を100%真の情報と
信じ込んでいる我々一般市民である。英語ではsheeple という。
つまり羊の sheep と人々people を掛け合せたことば である。)

気が付けば、官僚、政治家、アメリカ、大企業、マスコミ、
で構成されるファシズム国家?になってしまった。


今回の総選挙は日本の歴史に残る重要な選挙になる。

植草一秀先生のブログに大変重要な事が書いてあったので引用します。
(引用開始)
官僚のための政治
大資本のための政治
外国資本のための政治
そして
政治家のための政治
御用メディアによって情報が操作された政治
を打破して、
国民のための政治、
国民が主人公である政治
が、初めて生まれる大きなチャンスが生じた。
このチャンスを生かして、何としても「国民のための政府」を
樹立しなければな らない。日本の歴史上、初めて、主権者である
国民の力によって、主権者である 国民のための政府を樹立する
チャンスが到来している。

(引用終了)

”自民党はもうこれ以上イヤだけど民主党もいまいち頼りにならない”
と思っている方へ、
天木直人先生のブログに興味深い意見がある。
(引用開始)
民主党に圧勝させて政権を取らせ、その民主党に我々のための政治を行うよう、
注文をつけていけばいいだけの話だ。
民主党が腰砕けになったり、少しでも変なことをしたら、すぐにでも政権から引 きずりおろすぞ、と脅かせばいいのだ。
我々が民主党政権を作っていく、監視していく、今後の政局は、こういう観点か
ら一般国民は捉えるべきなのである。

(引用終了)


重要なことは我々B層が目覚め今 日本や世界に起こっている真実を知る事だ。
そうすれば日本が変わる。日本が変われば世界も変わる。
そしてこの地球に真の平和な時代がやってくるのだ。

ということで、その第一歩として、
みんなで選挙に行こう!


その前にとーちゃんにも一票!
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ありがとうございます。  


Posted by 海人とーちゃん at 15:49Comments(0)沖縄

2008年10月30日

世紀末UFO説

世紀末が数年以内にやってくるらしい。
核戦争か? それとも巨大隕石の衝突なのか?
我々人類はこれで滅びてしまうのか?

海人とーちゃんの長年のリサーチの結果、
どうやら救世主が現れて人類を救ってくれるようだ。

その救世主とはUFOである!
人々が大混乱の最中、突然 UFOが現れて人類を救うのだ。
光の柱みたいなもので吸い上げるのである。
一度に数万人もの人間を救出することができるらしい。
かなりの巨大UFOである。

 

しかし残念ながら全人類を救うことはできない。
数があまりにも多すぎる。
そこで、心の美しい人々から優先的に救出するらしい。
どうやら宇宙人は我々の行動を細かく宇宙からチェックしているようだ。

「よし!今日から心を入れ替えて美しい人間になろう。
まだ間に合うかもしれない。」

人類を救ってくれるのはありがたい。
しかし、問題が一つある。
何の予告もなしにUFOは突然現れるのだ。
たとえばトイレの最中に突然UFOがやって来たりする可能性もあるのだ。

 

この "世紀末UFO説" を信じる人も信じない人も一発!人気blogランキングへ
ありがとうございます。





  


Posted by 海人とーちゃん at 02:53Comments(0)沖縄

2008年09月22日

久米島の偉人伝説 その1

リヤカー式の屋台でおでんをつまみながら一杯飲むサラリーマンの
光景は沖縄では見かけない。
沖縄はたぶん全国で一番屋台が少ない県ではないだろうか。
特に久米島のような離島では皆無に等しい。

ところが実は昔、久米島にも屋台があったのだ。
それは今から約60年程前、終戦直後のことである。
ある一人の若い娘、年は二十歳前?が屋台の店をオープン
したのである。
その屋台は那覇でわざわざ特注したもので、それはそれは
たいそう立派なリヤカー式のものだったらしい。

久米島の繁華街に芝居小屋があった。娘はちょうどその
横で屋台を始めた。
場所がよく客は多かった。商売は繁盛したかのように見えた。
しかし、、、、、、、
当時は終戦直後で村人たちはみな貧乏だった。
しかも お腹は空いている。
客の多くはツケで飲み食いするのであった。
その娘は文句も言わず一生懸命働いた。
働いても働いても金が溜まるわけではない。
結局、店はつぶれてしまった。

 

まるで ”おしん” のようなこの娘はいったい誰だ?
今尚、ご健在なら年は80近い。
さらに調査を進めているいちに、ついにその娘を発見!
な、なんと、、、、、
糸数民宿のオバーだった。

 

久米島の「おしん」に感動した人は一発人気blogランキングへありがとうございます。


  


Posted by 海人とーちゃん at 15:48Comments(2)沖縄

2008年09月15日

ポークを語る その5

SPAMが誕生したのは1937年で当初はSpiced Ham(スパイスド・ハム)
という名前だったが、インパクトがないということでSPAMが採用された。
(ウィキペディアより)

 

第二次世界大戦中、アメリカ兵たちは毎日このSPAMばかりを
食わされていた。朝はスパム、昼もスパム、そして夜もスパム。
兵士たちは毎日このSPAM攻撃を受けたのであった。
迷惑メール(spam)の語源もここから来ているのである。



 

ポークの話しはそろそろ終わります。今日も一発!人気blogランキングへ ありがとう。




-----------------------------------------------------
沖縄とスパム(ウィキペディアより)

沖縄とスパムの関係は、主に第二次世界大戦以降の米軍占領下(第二次世界大戦以降1972年まで)に始まる。元々沖縄には、豚肉を好んで利用する食文化があった。だが大戦末期において沖縄全土で戦闘が行われた結果、これら豚肉が手に入りにくくなった。しかし終戦直後には米国から沖縄住民に配給物資としてスパムが提供された他、在沖縄米軍の内部で消費していたスパムの一部が(保管期限切れの払い下げや物資横流し等で)市場に出回ったため、沖縄住民達はこれを消費した。

この時代、沖縄文化(チャンプルー文化とも)は少ない物資で旺盛な変革を見せ、沖縄駐留米軍から貪欲なまでに文化を吸収、従来からの沖縄文化にアメリカ文化を加えた現在の沖縄文化の基盤を形成した。この状況下に於いて沖縄の楽器である三線(さんしん)は、業務用の大型スパム缶の空き缶を利用して製作された「カンカラ三線」なる物もあったと言う。今日ではこのカンカラ三線が学校教育の場で利用されているとも言う。

今日に於いてはスパムを含むランチョンミートは沖縄家庭料理に欠かせない味として愛好され、様々な調理法が発達している。また沖縄県内で飼育されたブタを加工して、「わしたポーク」の商品名で独自にランチョンミートの生産も行われている。それらに関してはランチョンミートの項を参照してもらいたい。

日本本土と比べ、沖縄ではスパムが安値で販売されている。その理由として沖縄ホーメルがホーメルフーズと資本提携関係にあるため日本の代理店よりも安値で仕入れをしているためである。

  


Posted by 海人とーちゃん at 14:50Comments(0)沖縄

2008年09月07日

ポークを語る その4

先週 沖縄から戻ってきました。
ポークも嫌というほど食ってきました。
これはある朝の朝食です。よしぼーが焼いてくれました。

こんなにたくさん

あきさみよ~!なんとポーク3缶!
いくらポーク好きでもこれはちょっと。。。
多すぎ!


------------------------

アメリカーに「ポーク(SPAM)が好き」と言うと間違いなく馬鹿にされる。
昔はアメリカでも人気があったらしいが、いまではポーク好きな人は
きわめて少数派になってしまった。ハワイではまだ根強い人気らしいが。。。
どうもポークと言うと とてもチープなイメージがあるらしい。

近所のアメリカーに 沖縄人はどんなにポークが好きか力説しても
信じてくれない。
ポーク入りのカレーライスや味噌汁を説明しても ただ大笑いするだけである。
でも何でそこまで嫌うのか尋ねてみると、
「ポークには耳や足、腸などの変なもの?が混ざっている」そうである。

耳や足、腸。。。。これは我々ウチナーンチュが好んで食べている部分ではないか?


だばー(なワケ) 

お知らせ:
海人とーちゃんのT-シャツ 只今制作中です。
ネットでお手軽に注文できるようになります。
しばらくお待ち下さい。


ポークが好きなキミも嫌いなあなたも一発!人気blogランキングへ
ありがとうございました。

  


Posted by 海人とーちゃん at 13:35Comments(0)沖縄

2008年09月07日

海人とーちゃんのTシャツが完成

お盆は久米島で過ごしました。久米島病の常連客や
海人とーちゃんのブログから初めて久米島を訪れたお客さんたちと
星を眺めながら、よしぼーの三線で飲んで歌い、楽しい里帰りでした。

ところで、海人とーちゃんのTシャツが完成しました。

 

 

注文が殺到し(本当か?)ほとんど売れてしまいました。
まだ少しLLサイズが少し残っています。
アメリカに戻ったら早速 追加プリントします。
Tシャツを注文された皆様、しばらくお待ち下さい。

値段は1500円で今回は"海人割引クーポン"がついてくる。
このクーポンで糸数民宿 又はバードアイランドのはての浜ツアーが
なんと500円割引になる。このクーポンは3年間有効。
友達にプレゼントするのもよい。
そしてこのクーポンは一人何枚でも使えるのだ。
たとえばTシャツを4枚買うと500円の割引クーポンが
4枚付いてくる。このクーポン4枚でなんと糸数民宿の宿泊料金が
2000円割引、つまり宿泊費がタダということになるのだ!
これは凄い!

 
割引クーポンを手にほほ笑む少女A

 
海人とーちゃんのTシャツを着てごきげんの少女B

注)写真は本人の許可なしに勝手に使用しています。
本人から文句をいわれたら削除します。


  


Posted by 海人とーちゃん at 13:33Comments(0)沖縄

2008年07月30日

ポークを語る その3

ポークは缶詰なので常温で保存が可能な上に
賞味期限も長い。
そのことが第二次世界大戦時のアメリカ軍に
とって重要な役割を果たすことになった。
アメリカの兵士たちは朝から晩までポークを食べたらしい。
このポークのたんぱく質、脂肪、塩分がアメリカーたちの
パワーの源だったのである。
つまりアメリカが第二次大戦に勝利を治めたのは
このポークのおかげなのだ!(たぶん)


 
当時の大統領(アイゼンハワー?)もこのポークを絶賛し
製造会社のホーメルに感謝状を送ったらしい。



つづく
  


Posted by 海人とーちゃん at 05:11Comments(0)沖縄

2008年07月26日

ポークを語る その2

ポークによってはこのようにカギがついている。

 

ウチナーンチュなら誰でも知っているので
いちいち説明するまでもないがポークをよく知らない
という方のためにちょっと説明する。
これは缶を開けるための道具で、下の図のように
缶に刻み込まれた溝の沿ってカギで缶をリボンのように
巻いていくのだ。

 

とーちゃんがまだ小さいころ、我が家では
ポークを開けるのは子供たちの仕事だった。

カギは缶に対して直角でなければならない。
もしカギを傾けると、リボンがカギからずれ
うまく巻き取れない。

 

最悪の場合はリボンが途中で切れる場合がある。

こうなるとオヤジ(糸数民宿のおじー)の出番であった。
オヤジは工具箱からペンチを取り出してきて
器用に缶をこじ開けるのであった。

 

そんなオヤジを見て、子供たちは”すごい”
と普通に尊敬するのだった。
しかしオヤジは船乗りなので3日に1度しか家には帰って
こなかった。

こうなるといよいよオッカー(糸数民宿のおばー)の出番である。
オッカーは刺身包丁を取り出し、
なんと、
缶をグスグスと切るのだった。

 

さすがにオッカーの刺身包丁はよく切れたものだった。
何しろ さしみヤー(魚屋さん)で使っている職人の道具である。
切れないはずがない。
しかし、缶を開けたあとの包丁はぼろぼろだったに違いない。
このオッカーの缶を開けてやるぞ、という執念と
我が子たちに おいしいものを食べさせてやりたいという愛情に
子供たちは心を打たれるのであった。

ポークを語る、まだまだ続く。

  


Posted by 海人とーちゃん at 15:03Comments(2)沖縄

2008年07月25日

ポークを語る その1

昔、とーちゃんがまだ小さいころポークというものは
ごちそうだった。
ご飯の上に焼き立てのポーク、今でもとーちゃんの大好物である。

 

ここでいまさらではあるが念のため、
ウチナーンチュでポークと言って豚肉を連想する人はまずいない。
ポークとは、
豚をすりつぶして、練って、固めて、缶詰にしたものである。

ランチョン ミートともいうらしい。
このポークはよくブログでもとりあげられる話題である。
いまさらポークなんてと思われる方、
沖縄生まれ、アメリカ在住の海人とーちゃんが独自の見解で
ポークについて語ります。5回シリーズです。

 

ポークの中でも一般的によく知れたブランドといえば
デンマーク製のTULIPとアメリカ製のSPAMである。

 

SPAMはかなり塩分が強い。減塩タイプもあるが それでも
かなり塩からい。どこが減塩?
と思わずいいたくなる高血圧のとーちゃんはTULIPのほうが好きだ。
そういえば我が家では小さい頃からポークといえばTULIPだった。

その他にも中国産ポークもある。

 

中国ポークと他のポークの違いはまず値段。
圧倒的に安い!
そしてもう一つの違いは、
つぶつぶ入りである
これはダンボールなどの異物が混入しているのではなく
明らかになんらかの"肉"であることは間違いない。
しかし、
原材料を見てみると猪肉と表示されている。
中国ではおそらく豚を猪と書くのであろう。
いずれにしろまともな肉の味がするので特に問題はない。

ポークは沖縄の家庭料理には欠かせない材料のひとつである。
朝食のポーク卵やサンドイッチ、炒め物、使い方はいろいろ。
とーちゃんが中学生のころキャンプのカレーといえばポークだった。
当時はクーラーボックスなんてなかった時代なので、この缶詰の肉
は重宝されたものだった。

糸数民宿のオバーが作るアーサ(あおさ)の汁にもポークが
入っている。約5ミリ角に小さく切ったポークから出るダシと
油と塩分がアーサと絶妙にマッチするのだ。
味噌汁ではなく、すまし汁のほうがポークとアーサの味をより堪能できる。

 

この万能缶詰 ポークはまさに沖縄県民の重要なタンパク源である
といっても過言ではない。
しかし、「ポークの動物性脂肪、高塩分のせいで沖縄県民の寿命が縮まった。」
という噂もあるが。。。
そこまではとーちゃんも知らない。
でもやっぱりポークはウマイ!

 


ポークを語る その2へ続く

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Posted by 海人とーちゃん at 01:51Comments(0)沖縄

2008年07月18日

久米島観光改造計画 その15

カリフォルニアの海岸線はこのようにコンクリートの遊歩道があり、
自転車やローラースケート、ジョギングなどを楽しむ人々で
活気に満ち溢れている。



このような自転車のレンタルもある。

このアイディアを島の観光にも取り入れることはできないものか?
実は久米島にはそれがあったのだ。
前回の久米島観光改造計画 その14 の意味不明なコンクリートが
それである。
そのコンクリートはフェリーの港から空港近くのシンリ浜までつづいている。
今のところ、このコンクリートは一つにつながっておらず、
あちらこちらで途切れている。しかしそれを全部一つにつなげば
港から空港までの海岸線をはしる一大遊歩道が完成するのである。

ガラサー山付近


鳥島バードアイランド前

旧具志川村の問題点はビーチまで遠く、車で移動しなければならない。
(シンリ浜までは約2kmある。)
ところがこの遊歩道が完成すれば、海岸線を散歩したり、
サイクリングを楽しみながらビーチまで行ける。
夕日に向かって走るのもよい。
アダン、ヤシの木、ハイビスカス、モクマオウなどをたくさん植え、木陰
をつくれば暑い昼間でも快適に散歩ができる。


楽天球場付近

これで島にはもっと活気が出るにちがいない。

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Posted by 海人とーちゃん at 09:32Comments(0)沖縄

2008年07月02日

とーちゃんの夢 実現!

長年の夢であった海人とーちゃんのCG教室が実現した。
この前の日曜日 6月29日に第一回目の授業が行われた。

 

アメリカから久米島の子供たちにリモート操作でコンピューター
グラフィックスを教えるというプロジェクトである。

その日は久米西中学の生徒たち12人が集まり、
2時間にも及ぶ白熱した授業が展開された。


生徒たちのコンピューターがすべてモニターに映り、しかも
操作することもできる。つまり ちょっとでもサボっている生徒
を監視することができるのだ。これはすごい!





反省点:いきなり最初から気合が入りすぎてちょと退屈な
授業だったかもしれない。
初日はもっとのんびり楽しくCGの可能性や夢などを語るべきだった。
久米西中学の皆さん、次回はもっとたのしい授業になるように
頑張ります。


教材は無料でご覧になれます。注)音声は出ません
Mayaというソフトを使っています。


このプロジェクトを応援する方は一発人気blogランキングへ
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Posted by 海人とーちゃん at 23:47Comments(0)沖縄

2008年06月18日

久米島観光改造計画 その14

昔、公共工事が盛んな頃 久米島の海岸線はこのように立派な
コンクリートで固められた。

 

1980年代、久米島は公共工事が盛んだった。そして糸数民宿も本島からの
公共工事関係のお客さんで大繁盛していた。そしてなんと この海岸線を
コンクリートで固めた業者も糸数民宿のお客さんだった。
部屋やはいつも満員、民宿のおじー、おばー、よしぼーも朝から晩まで
ぶっ倒れる寸前まで働いた。

 
 
 
 
いわゆる 糸数民宿の黄金時代であった。

しかし、

糸数民宿の三男坊がその金を持ち逃げしてアメリカに渡ったらしい。
 
そして某デザインの大学を卒業し、現在はハリウッドで彫刻活動を
やってるらしい。

ところで話はさっきの意味不明なコンクリートにもどって。
実は今、この意味不明なコンクリートを撤去しようという案がある。
確かに何もないのがいい。しかし、とーちゃんには少し複雑な思いがある。
この意味不明なコンクリートのおかげで大学を出て今の自分があるような
ものではないか?

せっかく作ったこの意味不明なコンクリートをいまさら破壊するなんて
誠に残念でならない。しかもお金かかるし。。。

何か良い案はないものか?。。。そして

ひらめいた

つづく

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Posted by 海人とーちゃん at 07:32Comments(2)沖縄

2008年06月14日

久米島観光改造計画 その13

島のために何か役に立ちたい。しかし前回の日記のような変な
いんちきクーポンを無理矢理売りつけるのではなく、
汗水流して一生懸命働いて島の活性化に貢献したい。

たとえばこんなアイディアはどうか。
海人とーちゃんのTシャツにクーポンを付けて販売してはどうか?
このクーポンは島の飲食店やお土産店などで使用できる。
 
Tシャツの値段は千円でそれに5百円のクーポンがついてくるのだ。
もちろん私はほとんど儲けがない。つまりTシャツを買ってくれた人に
5百円あげるようなものである。

ちょっと詳しく説明すると下の図のようになる。

 
 

1.まず材料の無地のTシャツ一枚とインクを250円で購入する。

2.でき上がったTシャツを お土産店などに1.000円で置いてもらう。
もちろん500円のクーポン付である。
もし売れたら750円を集金。250円は販売店の利益となる。

3.Aさんがこの500円クーポン付Tシャツを1000円で買う。
(クーポンはその店で他の商品を買うこともできる。)

4.Aさんはクーポンを使い食堂でそばを食べる。

5.とーちゃんは500円払ってそば屋さんからクーポンを回収する。


上の図を見てもお分かりのようにAさんが大和(本土)から
持ってきた千円のうち250円はTシャツやインクの材料代として
アメリカや中国に渡り、とーちゃんのTシャツ制作という
肉体労働が750円分の価値となって久米島じゅうを駆け巡り、
島に活性化をもたらすというわけである。

もし仮に500円クーポンの代わりに現金の500円をAさんに渡すと
Aさんはその500円を大和に持って帰る可能性がある。
その結果 島には景気の循環が起こらない ということになる。

ホントか?

海人とーちゃんのTシャツコーヤーいるかねー?
コーヤー(買う人)

実行できるかは皆さんの応援にかかっています。人気blogランキングへ


  


Posted by 海人とーちゃん at 02:05Comments(2)沖縄

2008年06月07日

久米島観光改造計画 その12 地域通貨

押し寄せるグローバル化の波、地方と都市の格差はますます
広がるばかり。何か村に活気を取り戻す良い方法はないものか?

そんな中 ネットで地域通貨というものを発見した。
これはある一定の地域の発展のために、その地域だけに限定して
使える通貨である。

興味のある方はネットでサーチしてみよう。
活字嫌いのかたはyoutubeでも観れます。
おかねの革命〜エンデの遺言」シリーズ 1/6 地域通貨の"希望"
(1/6から6/6まで6シリーズあります)

この地域通貨は必ずしも紙幣やコインである必要はなく、
クーポンであったり、スタンプやステッカーなどでポイントを
貯めるものなどがある。
この地域通貨には有効期限があり、利子が発生しないこと
が大きな特徴である。

お金というものはどんどん一箇所に集まっていく性質がある。
この現象がおこる根本的な原因は、お金には有効期限がなく
利子が発生することにあるのだ。

ぶつぶつ交換の時代、魚や野菜は古くならないうちに売り
さばかなければならなく、当然そこには利子という観念などない。

グローバル化とまったく相反するこの地域通貨、実はこれこそが
地方を活性化するカギになるかもしれないのだ!

そこで海人とーちゃんもこの地域通貨について考えてみた。
そして遂にいいアイディアが浮かんだのである!
名付けて ”海人割引クーポン”

まず海人とーちゃんがこの ”500円の海人割引クーポン” を発行する。
次に観光客に500円で無理やり売りつけるのである。
このクーポンは島内の飲食店やお土産店でしか使うことができない、
しかも有効期限付きである。

このクーポンを買わされた観光客は何が何でも使わなければならない。
その結果、島は活気にあふれるというワケである。


ウリ ネーサン クーポン コーレー (ほれ ねーちゃん クーポン 買え)
メーゴーサー (ゲンコツ)

これって犯罪行為に等しいんじゃないですか?

島の印象を悪くする気か?

何を考えてるのかワケワカラン。

実はもっといいアイディアが浮かんだのだ。

次回のおたのしみ!

つづく

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Posted by 海人とーちゃん at 03:44Comments(0)沖縄

2008年06月03日

久米島観光改造計画 その11 格安ツアー分解作戦

飛行機と民宿を別々に予約するより 格安ツアーでリゾートホテルを利用
したほうが安い。
その結果 リゾートホテルに客をとられて地元の民宿がいまいち繁盛しない。
結局 島にはそんなに金が落ちずに大和の企業が大儲けする。
何か地域を活性化する良いアイディアはないものか?
そこで海人とーちゃんは考えた。

 


名付けて "格安ツアー分解作戦!"


これは格安ツアーを飛行機とホテルに分けて販売する方法である。

 

たとえば久米島町役場が 2泊3日の3万円の格安ツアー を購入し、
2万円の航空券と2泊3日1万円のホテル宿泊券に
分けて提供すると、以下のようなメリットがあるのだ。

1。ヤマトゥのねーさん・・・・東京から往復なんとたったの2万円のチケットを
              購入し、島の民宿に宿泊。

2。那覇の島の女さん・・・・久米島のリゾートホテル2泊3日をわずか1万円で
             予約、フェリー(往復6千円)を利用して旅費は
             なんとたったの1万6千円。
                
3。島の民宿・・・・リゾートホテルから民宿へ客が流れ大繁盛。

4。フェリー・・・・・利用者が増える。

5。島の活性化・・・・観光客が増え、リゾートホテルだけが儲かるのではなく
          島にも金がざくざく落ちる。


 


あなたはこのアイディアをどう思いますか?

1.なかなか良い
2.実現不可能
3.ゥワーバグトゥ (余計なお世話)

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Posted by 海人とーちゃん at 02:10Comments(2)沖縄

2008年05月22日

格安!裏ワザ旅行プラン

「離島の民宿に泊まってみたい。だけどリゾートホテルと飛行機のパックのほうが安い。
だから民宿には泊まれない。」  そんな経験はありませんか?

そんな問題を解決するグッドアイディアがあります。
以下は久米島病患者のMAKABIさんの ”格安旅行裏ワザ” です。

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 まず、旅行会社で沖縄へ行く日からの「那覇1泊2日」のビジネスプランを
申し込みます。(那覇では翌日のフェリー待ちなので、行きは仕事が終わって
の最終便でもよいですね。)
ビジネスプランは那覇市内(国際通り付近)のビジネスホテル泊なので、
1年を通じて料金も安く 一人当り25,000円〜30,000円くらいでゲットできる
と思います。 で、その申し込み時に那覇から帰りの航空便の搭乗日を延ばし
ます。(最大14日まで延ばせます)

 つまり、旅行初日に那覇まで行き、旅行プランのホテルで1泊して翌日の
泊港8:30発のフェリー(片道3,000円) に乗れば4時間のクルージングを
楽しんで、昼には久米島に上陸できます。

久米島での宿泊は「バードアイランド1階ゲストルーム」や近所の「糸数民宿」を
利用してください。
糸数民宿は素泊まり1泊2,000円ですが、2食付3,500円コースがお勧め。
 あとは、帰る日の久米島〜那覇間 のキャリアをフェリーか、時間の都合に
よっては飛行機(片道11,000円位)かの選択をします。

 こうすると久米島そのものツアー(リゾートホテル利用)よりかなり格安で
旅行ができますので、是非お試しあれ^^

 なお、夏のシーズン中は込み合いますので、(本当かよ?)
早めに店長のヨシボーに予約をしてくださいネ。

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糸数民宿 とーちゃんおすすめの激安民宿

bird_island はての浜ツアー&喫茶、ゲストルーム



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Posted by 海人とーちゃん at 03:25Comments(2)沖縄

2008年04月12日

海人とーちゃんの C級グルメ その3

私は高血圧である。
薬を飲まなければ170まであがる。薬をのんでも140以下になる
ことはめったにない。 まれに130まで下がる時があるがそんな時は
体がだるくてしょうがない。

おふくろも血圧が高い。そして私のオジーも高血圧だった。
どうやら遺伝的なもののようだ。
噂によるとオジーの血圧は普通の血圧計では測定不可能なほど高かった
らしい。
当時の血圧計は今のようなデジタルではなく最高値が300までしか
測定できない。
ということはオジーの血圧は300以上だったことになる。
これはおそらくギネスブックに載る世界一の高血圧だったにちがいない。

 



ところで そんな私のために妻は薄味の味噌汁を毎日作ってくれる。
健康に気を使ってくれる妻のそんな心遣いはなんともうれしいのだが。。。

なんとか塩分控えめで味ク-ター(濃い味)にする方法はないものか。。。
そこで おわんの味噌汁にかつおパックを一袋いれてみた。

 

。。。。。。
。。。。。。

これはうまい!
塩分はひかえめだけど イッペー味ク-ター!

つまり薄味でも ダシが強力に効いていればうまい事を発見!

そして かつおぶしは味噌汁の具として食べるとこれまたうまい。

  


Posted by 海人とーちゃん at 06:15Comments(0)沖縄

2008年03月29日

海人とーちゃんのC級グルメ その2

味噌汁にポテトチップスは意外とイケル。
ではさらに これにビーフジャーキーを入れると、
牛肉とじゃがいもの味噌汁になる、にちがいない。
さっそくビーフジャーキーを入れてみた。

 




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


いまいち。。。。。


  


Posted by 海人とーちゃん at 16:02Comments(2)沖縄